
本日は、平成24年2月8日、神様の正月である節分から初めての感謝祭でございます。
このよき日にこの御神楽に帰らせていただき、人の本当に生かして頂くための道を今一度、教えて頂きたいと思いました。この御神話は、今までにも何度も説いておられますし、私たちも何度も解説させて頂きましたが、今回、もう一度改めて読ませていただき、こういうお話は何度も何度も繰り返して聞かせて頂いても、中々身に付きにくいものであると実感いたしました。
私達が五感で感じた感覚で、不足に思うと、知らないうちにお腹の中に溜まって何かの打撃を受けた時にこれがムクムクと膨れだして全身を食い荒らすのです。これは、脳の中の小脳の部分の不足で、三省会はこれを吐き出すためのものなのです。次に、中脳の部は、物の部でありますが、学問も体を使うことも、自分の修養も趣味も自分の持ち物は皆この中脳の部にはいるのです。
物に執着して、物のみを追い求めて行ったなら必ず末路が来るのであります。災害で皆持っていかれた。財産はできたが自分は使うことも出来ないで死んでしまったという事になるのであります。身についた学問ですら、ただ優秀な学校のみを目指してガリガリ勉強してもいざ社会に出ても頭はてんで働かないという事になるのです。動物の感覚で、衣食住の物のみに執着したならこのような末路が来るのでございます。
盲目の愛で子供を愛する血欲、それから、心の開きを知らないで、ただ肉体を使っての、暗い石ころだらけの道を行っていきつく先には行者の姿しか見えない行者信仰はいつか倒れる日が来るのであります。こんなに信仰したのに何でであろうかと悩まなければならない日が来ます。
信仰をするにも盲目信仰の危ない手引き、動物の行力のみを頼りに朝から晩まで祈ってみても、身辺の一時的のチリは払えるでありましょうが、積んでは壊し、積んでは壊し、払っても払ってもまた付く、あっちを突いてみたり、こっちを突いてみたり、あれがいかん、これがいかんと枠の中の狭い処から出ることが出来ないで、角があるから誰かに突き当たって自分の気に合った事しか続けられないのです。生命的にも円満的にも、物質的にも、心にそわないことがやって来た時に、勝負取引をやったならば、江戸の敵は長崎で打つと云う様に、必ず一度やったならば2度帰って来るのです。自分の限界で良いと決めても、それは自分の都合の良いように決めたことですから、相手から見れば無理な事かもしれません。我田引水なのでございます。癌と云う病気は、自分の都合の良い世界の枠をこしらえて、窮屈極まりない世界に閉じ込めて、心がその中から出ることが出来ないで悪鬼の要素を引っ張り込んで癌のもととなっているのであります。
よって、まず、大脳をしっかりと開き最高の部門である笑う光を目的にして、心を開いて目の前に出てきたことに対し敵討ちの勝負をしないで、悪気も毒もかけないで、人が救われるように、人が救われたら自分の心の灯台は何倍にも光って深まっていくのであります。例えば、わが子可愛いの象の愛や自分のための仕事を最高の物としていたなら、必ず末路が来ます。また、いかにも知ったかぶりの顔の人間になったり、これだけできる自分を十分に取り上げてくれなかったと云う様に恨んだりすると左巻きに落ちていくのです。
人は、その持っている因縁によって、幾重にも目の前にすりガラスの幕が張られてあり,自分は見えていると思っていても実際には何も解っていないまま自分に都合の良いように判断して、それを正義だと思っていることが多いのです。よって、10人居れば10の正義があり、10の正論があるのです。因縁が抜けていくとそのすりガラスは、内側から一枚づつ剥がれて、剥がれるたびに少しづつ視野が広くなり解ってくるようになるのです。自分を捨てて、家族のため、家族よりも市町村のため、市町村よりも国のために考えることが正しいのです。他人と意見が違うのは当然で、あの人の立場であったなら無理もないと、解ってあげなければなりません。
自分の徳のある範囲で、維持していける範囲で、一億なり二億なりその頭のひらいた程度に応じて頂けるのです。この信仰の世界には三徳が詰まっていて不幸も病気も不自由もないと信じて、しっかりとふらつかない心で、先の方まで見通せる目を持って進んでいかなければなりません。
◆御教祖様十五年祭のお知らせ
| 日時 |
平成二十四年三月十一日午前十一時より |
| 場所 |
西宮高座山大祖教本部教会にて |
御教祖様が昇天なされてから、十五年経ちました。御身体はこの世になくとも、教祖護光天大神様として、私達天使信徒をいつも御守護下さっておられます。現界に御降臨下さった事への感謝と共に、今も御守護頂いている感謝の真心を捧げたいと思います。万障お繰り合わせの上、是非御詣りなさって下さい。お待ち致しております。
◆平成二十四年三月春期霊光祭のお知らせ
| 日時 |
平成二十四年三月二十日午後一時より |
| 場所 |
西宮大祖教本部教会にて |
春の彼岸のこの時期に、御先祖の御供養を致します。一番御先祖に徳を送りやすい時期と言われています。故に御先祖は子孫からの御供養を首を長くして待っておられます。是非精一杯の御徳を送って上げて下さい。霊界にて七段、八段と上がって行くにつれて、今度は反対に御先祖が大きなお徳を子孫に送って下さるのです。
お申し込みは御本部迄。
皆様、お元気ですか。二月は一年中で一番寒い時ですが、立春と言う様に、春が、もうすぐそこ迄来ています。二月八日のとても寒かった朝、庭の白い梅の花が咲いているのを見つけました。御聖典の中にもありますが、梅は冷たい雪の中でも美しい花をつけるのです。こんなに寒いのに梅はえらいなあと感心致しました。寒くて冷たい中ても、この梅の様に頑張らなくてはと思います。
昭和五十年十月八日の感謝祭の御神話の中に、人間社会の礼儀作法は孔子、孟子の倫理道徳の域で、それだけでは命の線には届かないのである、と申されています。人間的に美しく見せる為に言い訳ばかりする人は、これは大祖教の宗教的な見地からすれば、最低であるのです。
御教祖様は、仮面は要らない、自分を美化するとか、飾って見せるとか、見栄は一切いらない。裸のままの自分の姿で良い。裸の姿になれた時に、始めて神の命が流れ入るであろう、と申されています。
二月三日の節分を過ぎ、神様の世界でも新年を迎えて、私は、この御教祖様のお言葉をしっかりと胸に入れ、本年も信仰の道を頑張って進みたいと思っています。
風邪がはやっています。皆様も健康に留意して元気で御過ごし下さい。