本日は、昭和四十三年八月八日の御神話より、抜粋を御届けします。八月八日の御神話はとても数少なく、暑さと日頃のお疲れが溜まって体調を崩される事が多く、この時もお具合が悪かったのですが、御自分の体調の悪さを顧みず、御神話を下さったのです。
「先ず、地上の人間、本当に一日を幸いに暮らしているであろうか。只物質面の世界のみを幸いの如くに追い回している姿が、数多見られるなり。大祖護光仁が皆さんのお手を引くのは、過去に於いて円満と物質が多かった。故に護光仁は、非常に疲れたのである。
それには行き詰まりが来る。本当の信仰とは、何でしょうか。折角信仰するならば、行き詰まりの来ない信仰でなくてはならない。行き詰まりの来ない円満でなくてはならない。行き詰まりの来ない生命でなくてはならない。
生命は尊いとは知りながら、今日生かして貰っている有り難い事を、皆さんは心から知る事が出来るでしょうか。祖末にしてはおりませんか。命の尊さ。神に合わせて命のある所には、円満もある。物質もある。
生命を忘れて、命を忘れて、円満と物質を追い回しておったのでは、怒り泣き苦しまねばならぬ。神は無限の生命、無限の叡智、無限の愛。神の世界に汚れは無い。
本当に人間が今悔い改めるならば、どんな罪でも許して下さる。どんなに深い、仏教でいう因果法則でも許して下さる。だがそれは、身も心も物も全部神にお供えの姿でなければならない。自分の物は獲得しておいて、お願いをしてもそれは聞き届けられないのです。
自分の物として獲得していては、それは亡者と同じで、大きな石ころを背負っているのです。大きな石ころに重しをされながら進んでいってはなりません。
この世のものは、全て神の遣わされたものであって、自分のものではありません。それをどうか忘れず、その感謝を忘れないで、大祖護光仁の道を信仰するものは、真の信仰の道を進んで行って下さい。」
この御神話は、本当に心を打つもので、私ももう一度、命が第一という原点に戻って、これからも進んで行きたいと思います。
◆秋期霊光祭のお知らせ
| 日時 | 平成二十二年九月二十三日午後一時 |
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| 場所 | 西宮高座山大祖教本部教会 |