御神話解説 平成22年6月8日
本日は昭和43年6月8日の御神話から御話させて頂きます。
「つく息ひく息の大きなる息は 妙なる御柱なれば 息も身も天地八方に満ちて心洞はらなり」
これは、天地を貫く、これなくては絶対に生きてはいけない力なので御座います。余りにも即座に貰った大きなものである為,この重要さに気がついていない人が多いのであります。
これが当たり前では無いと本当に喜べる者は徳の方向へと進んでいるのでございます。この世の目に見えるものの世界、科学に現れる総ては、物であって念体、物理なので、このつく息、ひく息の陰陽の引き合いによって生かされているのでございます。
息は引いては吐く,吐いた体内の不浄物は神の造られた自然の摂理によって浄化されるのです。
物は現れても又用を足して消え、又現れて又消えて行くのでございます。
それ故、人間は、大祖大神様を信じて心からの感謝と笑いの世界へ入るなら、物の世界を超越した上の大生命の所まではいれるのです。
まず、つく息ひく息でも、上の方の生かされる方のつく息方のつく息ひく息と、滅びる方のつく息ひく息がるのです。
潮の引きは冥土行き、仏教で言えば地獄行きと申します。五段以下の下の世界へおちて、闇、悩み、悲しみ、滅びて行くのです。
つく息ひく息も、地獄からのつく息ひく息と天国からのつく息ひく息があるのでこの五段より上の所に上がって精神を向上させ、物の世界を二の次にして、心の世界を主にするものは、物質は後から付いてくるのです。使わせて頂いて、この使わせて頂く喜びの中に、必要なだけ自由につかう操縦上手にしなければなりません。
五感で見た世界の賢さでは、物の世界を主にしてやった事に責任を取らない、思った事に責任を持たない、足の無い幽霊の如き姿である。鼻が歪んでよだれを出して、血迷っているのです。闘争と生存競争に明け暮れる泣きわめく最低の動物に等しい行為となっているのです。
先ず、神様の大きな徳の中に飛び込んで,叡智の知恵に入るなら、自分の体の使い方も解り、人も生かし、自分も生かし家族も生かし、永遠に最後の最後まで笑って喜んでいけるのです。地上全員がそうであったなら、滅びもない、闘争もない、嘆きもない、と云う世界を作ってあるのです。
その様な罪深い知らないうちに左に巻いた罪は、過去の痕跡となって、40歳位までは無理してあっても体は強いから変わらないが、40歳位からぼつぼつ出てきて、幽霊の姿が、先ず、腰に来る。手に来る。
手がおかしくなると云う事は、心が神様に合っていなかった証拠なのです。「あいつが」と思った念波は、必ず相手に繋がれて相手を殺す事になるのです。愛する家族や人にこの様な毒ガスを送って何とするのでしょう。相手が少々曇っている態度を見ても家族の明るい中に包まれたならその不浄を消す事が出来るのです。しかし、その不浄物が吐きだされる時には馬鹿正直に取引をして互いに闘争しないように。
上を喰んだ者は、息の詰まる病気になり涎がダラダラと出て胃潰瘍になります。胃癌ではありません。これは、神様のほうに心が足りないという事であります。
この様に、罪は果てしなく沢山ありますが、これを掃除するというのが笑いなのであります。笑いは最高点の物なので、陰陽系体の、心より喜んで、心より笑って心より感謝し、神様を心から信じて、物を主体にしないで喜びを主体とすることによって、つく息の詰まりも、ひく息の詰まりも浄化され洗われて行くのです。
すると、肉体は洗われ左巻きは巻き戻され、肉体の健康も良くなっていくのです。
先ず、頭を洗い流して不浄物を洗い流さないと徳は頂けないのです。そして初めて肉体も明るくなってきた、命も頂いた、そこに円満も物質も付いて来たと云う事になるのです。ですから、先ず、このつく息ひく息は宇宙大真髄の摂理の中に陰陽形態として絶対に人間が使わなければならない必要な物であるならば、ただ知らずに私たちが唱えているだけでも、知らずについているその罪はボロボロと剥がれて次第次第に徳のついている方へ進むのであります。
私たちは御教祖様がその生涯をかけて、私達に幸せになる道を教えて下さった事に感謝し、実行して幸いの世界に入っていきたいと心から願い感謝申し上げます。
御教祖様、有難うございました。
◆平成二十二年七月一日海山野開き祭のお知らせ
| 日時 | 平成二十二年七月一日午後一時よりり |
|---|---|
| 場所 | 西宮高座山大祖教本部教会 |