今日は 昭和38年4月8日 の御神話からです。
山を移み岩をも通し大なる信仰あらむ共、愛の泉を知らぬなば
神は出でぬよ 心磨けば大無我一体なり(かみきたるなり)”からです。
「山を移み岩をも通し」の強い信念の信仰があっても、神様が居ないのでは信仰の力はありません。この様な信仰は 拝み信仰、迷信信仰、お陰信仰です。この様な状態は、我が強くて神様が出て助けてやろうと思うても出られん様になっている状況です。
これは、自我の信仰になります。このレベルは六感七感になります。ここを超越するには、最高の信仰の域になることです。
心がダイヤでなくてはなりません。既に人はダイヤの心を与えられています。
日々の生活の中で染み付いた汚れや習慣で曇り、ダイヤが水晶になり、ガラスになり、石ころになっていくようです。
そんな、染み付いた汚れを取り除けば又ダイヤの輝きの心になります。
生活習慣のしみは、仏教の十善戒の汚れです。それは自我の強さで自己弁護をする事等で出来ます。
例えば、お金に苦労すれば、偸盗的な染みがついて人の事をうらやましく思い、僻んだひねくれた感情を持つようになります。
自分の身の回りに起こる事は 様の仕組まれた道として受け取り、この世の修行と感じて行動する事で、ありがたく許容する事も出来るでしょう。
そんな風に思う一方、「これは誰々のせいや、あんな事するからこんな目になってしもうた。」
いつも人のせいに責任転化する事で気分を晴らしている。と思う事も出来ます。
つまり、いろんな道に進むことは出来るわけです。
ということは、自分が行きたい所に運転していけると言う事です。従って、運転の上手、下手でどのようにもなる訳です。
運転の上手な事が神の真意に叶い、真に自然の摂理にぴったりと合う事になり、生きている価値がある事になります。ここにダイヤの値打ちがでてきます。修羅、餓鬼、畜生と人間以下に落ちるとガラス以下になっています。
この様な中でも、もともとは、ダイヤの心を持てるように出来ていますので
方向転換せねばならぬと、感じる事が重要です。
ここに「愛の泉を知らぬなば、神は出でぬよ」となります。八段の世界は、人間欲、身欲、肉欲を飛び越した世界です。
欲しい、欲しいと欲張ったわずかの一握りの物から、超越すれば、欲しいと思わなくとも
すでに沢山の物が入っている事に気づけるようになるわけです。
殺生、偸盗(ちゅうとう)、邪淫(じゃいん)、妄語(もうご)、綺語(きご)、悪口(あっこう)、両口(りょうぜつ)、慳貪(けんどん)、真意、邪険に汚れている人もいますが、この汚れをひがまずに、自分は自分として望み、自分の価値を知り
心を高く持つことも出来ます。現状認識が大事です。これで大難を小難に小難を無難になります。
つまり、自我心をすて、神我一体の世界、八段の世界に登る事が出来ます。
ここでは、「全てのことに感謝、ありがたいな」の言葉がまず第一に出てくるようになる事です。
神様の導きにより、神のご真意に叶い、そのレールに乗って進めるようになります。
大祖護光天様は、病気を治すのでなく、心を治すのが使命で、この世に出現されたのです。
個人のレベルでいえば、自分が一番大事で第一に考えているのが、普通ですね。その論理では、
「人より自分、他人は悪人、自分は善人、自分は正しい、あいつは間違っている。だから、こんな不良がでた、失敗が発生した。」と落とし穴にはまってしまいやすいです。だが、
「ちょっと待てよ、これはあの時にしっかりと自分が念を押さなかったからだ。次回はしっかりと打ち合わせてやるようにしよう。」と考えれば、その時の問題解決策がパっと浮かんで来る事が何度もありました。
このように さあ 六段、七段の世界から八段の世界へと向上いたしましょう。
ご教祖様有難うございました。(三唱)
◆平成二十二年三月お知らせ
四月は大祖教の行事は何もありません。
皆様、御元気ですか。彼岸前に季節外れの大雪で、日本列島は大変でしたが皆様の所はお変わりなかったでしょうか。
バンクーバーオリンピックは、閉幕致しましたが、若い人の一生懸命な姿は、とても力強く、沢山の元気を貰いました。金メダルが一つもなかったのは、寂しい気もしますが、百分の二分のタイム差で銀メダルになった話を聞くと、これはもう、実力の差ではなくて、その人の運の問題というより、日本の国に運が無かったと思わざるを得ません。
その中で、男子フギュアーで、始めてメダルを獲得したという高橋選手のお母さんがテレビで写っていましたが、演技の間中手を合わせて祈っておられました。以前にも、バンクライバーン国際コンクールで優勝した盲目のピアニスト、辻井伸行さんが舞台で演奏している時に、お母さんが手を合わせて祈っておられる姿をテレビで見ましたが、私は、その姿に胸を打たれました。
第一線で活躍している人は、その人自身もとてもすごい努力をしているけれども、どんな時もいつも支えてくれるお母さんが居たからこそ、ここ迄来れたのではないか、と思うのです。高橋選手も演技中大怪我をして、一年間全くスケートが出来ず、一時はあきらめた事もあったと言います。
辻井さんも、小さい頃からピアノの道を進み、目が見えていても、大変な音楽の道を、ずっと息子さんを支え続けました。本当に血の滲む様な努力で頭の下がる思いです。
考えてみれば、何方も生まれ落ちて以来、お母さんに育てられて大きくなるのです。子供の頃から身体の弱かった私は、ずっと母に多大な心配をさせ、母は、元気になる様に祈ってくれました。教えの母である御教祖様も、この大祖教を育てて来られて、私達を導いて下さいました。病気の時は、私は病気治し屋ではないとおっしゃりながら、神様に病気平癒を祈って下さいました。
今日元気でここ迄来られたのは、本当に神様の御教えと御教祖様と母が支えてくれたからだと、感謝しています。五月の第二日曜日は母の日です。お母さん、有り難う。日頃は言えないけれど、とても感謝しています。