日々の暮らしの中で神様のお慈悲を感じずに過ごしている人がいるとすれば、その人は徳を持ち合わせていない人なのでございます。ご承知のように心の在り処の段階は一感より十感とあって四感以下は人間の心ではなく五感で人としての心普通の人間の心の段階であります。大祖教では十感を真理と申して五感以上、六、七、八、九感は、「真理の道」「お道」といい、十感は大祖神の境地真理であり自由自在の心が得られる最頂上でございます。
この世に生まれてきて肉体と心がある以上、どんなにしんどくても面倒に思えても一段一段昇っていくことが修行であって、この世に生れて来た人間としての使命でございます。
辛く悲しい孤独感に落ちたり不幸な目にあったりしても、ただひたすら前進する中に神の光が見えて笑顔が戻り「乗り越えて来て良かった」と信じてきた喜びと感謝が湧いたとき、心は八感に登りかけて神の御慈悲が感じられるようになるのです。
昔から「可愛い子には旅をさせよ」とか「苦労は買ってでもせよ」とか言われていますが、すべては陰と陽であって、自分に陰として出てきた事柄にどの様に自分の心を神に合わせて強められるかが修行のポイントだと考えます。
心と肉体を強めることをしないでただ真理だけを頭で勉強して「真理とはこのようなもの」と理解した積りでもそれは本当に理解できたとは決していえないのでございます。
山の最高峰へヘリコプターで降り立ってそこらを歩いて「頂上はこの様なもの。全部解った。素晴らしいものだ。」と思うのと、六根清浄を唱えながら肉体と心が一緒になって一歩一歩踏みしめて汗を流して汗を流して登ってはじめて、六合目には六合目のしんどさ、七、八、九合目の辛さが解り頂上へ着けばこの上ない達成感を身も心も無くの境地を感じるのは、万人一緒だと思います。
心在っての肉体在っての真理の探究、五体と心が共に行をしてこその「本物」であり、陰陽あっての苦労を苦労と思わない心が神の教えに「はい」と従える心が、神様のお慈悲をひしひしと感じられるのでございます。
近くて遠く遠くて近いのが行の道であり、大祖教の真理の境地を目指して、生ある限り行をして進むことが、生きている人間の証なのでございます。平成21年9月8日。
◆大祖教住吉教会設立第五十周年記念祭のお知らせ
| 場所 | 大祖教住吉教会にて |
|---|---|
| 日時 | 平成二十一年十月十八日(日)午前十一時 |