この時は、心の革命程難しいものはない、如何に神様に教えて頂いても本人が自覚しなければ心の黄色いこだわりの光は消す事が出来ないと仰いました。赤い色と緑の色の調和のとれた声で神呼び歌を歌えた事を喜ばれたのでございます。
そして、御神歌の三「再びと人と生れぬ立派さを汝に教えん大祖にかえれ」について説かれました。この、再びと人と生れぬのは寂しい、と思うのは間違いで人とは、五感の世界でこれから下がって修羅、餓鬼、畜生、地獄となるのです。畜生でも牛、馬までは人間に生まれ変わることが出来るのです。牛は生まれながらにして執念深く恨み根性旺盛で業が深いのです。それ故馬の方が上で主人役なのであります。
人から下の世界に生まれるのは本当に救われない世界へ行くのであります。これでは信仰する意味もありません。ちょっと普通の人よりも向上した世界を六段の世界、天上と言います。この上は声聞、円格、菩薩、如来と修業して上がって行かなければ信仰している価値はありません。
天上即ち六段は落ちるのです。財界においてもどの世界においても天上の世界は落ちる恐れの多い世界なのです。人間の心の世界でも、人間の心の常識を充分に学んだと思って、あれは間違っているとか、あんな人とは付き合われないとか、自分は何も損はしない事であります。御聖典にも道に踏まれし種もあるとございます。
自分は道に踏まれない種であるが、人が踏まれているのを見て自分もともに落ちて行ってはいけないのす。人が落ちそうな時には反対に力強く引っ張ってやらなければ徳のある人とは言えません。
信仰とは心の革命なのです。肉体の世界の御蔭信仰で、財産が出来たとか、一家が円満であったとかに目標を決めるのは浅はかなのです。浅くてもそれだけでも有り難いと思えたなら上等ではありますが、、それは御蔭信仰なので、神の御心ではありません。
人間がこの世に生れて来て、お宮参りの時に額に大と書いてお宮参りを致します。大とはこの世に肉体を持って生れて来て、命の神の御心のままに生かし,叶わさせ給えという意味であります。
大祖神の大はまづ、一と云う字を右から左に引っ張ってそれから天地に引っ張るのが大、再びと人と生れぬ大祖にかえれ、と云う意味です。大の横線は人の世界で、人に良く思ってほしい、人にさえ良く思われたらいいと云う見栄の世界であります。そして、腎臓の罪は、我田引水、自分の都合の良い様に引っ張るという意味であります。
自分を高く評価したい、自分を美化したいと云うのが人間動物の本能でありますが、己を正しく見ると云う事がまだ出来ていないと云われました。
そして、この時御教祖様は、初めて御神話を、御神示の後で解説するよう、大川をご指名なさったのです。
言い尽くせなくても、真心で教えを伝えるお役を指名された事を感謝せよと言われ,皆さんと一緒にと辞退する大川を諭されたのです。
百八つの煩悩の内、いくつ開いているか、俺は賢いと思っている人ですら一つくらいが開いていて、後の百七つが麻痺しているのに、俺は賢いとおもっている人も多いのです。
自分は生かされていると云う事が大の横線から上に抜けているかと云う事が大事なので、抜けないで下へ下がっていたのでは,下と云う字に成り損なうのです。一番大切なのは命です。命は大祖護光天の道であることを知って学んでいかなければなりません。
切りかかられて善が邪に負けた状態になると不平不満が出るのです。そのようなお人好し信仰ではいけない、受けて我が身を切られないだけの叡智の守り刀を持っているか、叡智を学ばなければ自分のお役を果たす事はできません。世の中は、業と因縁で出来ているのでそれに負けて倒れて行く人があったら、それを見て、批判をすると云うのは救われないのです。倒れたら引っ張って、治す。一人分も二人分も受け答えのできる永遠の命を保護する力を養わなければなりません。
大祖護光天様が28年間宗教界に本当に突破して如何なる事にも負けた事の無い理由は、「互いに上中下相異なるとも 外形によって同胞を相へだつことなかれ」とありますように、親、兄弟、日本人、外国人色々と異なっても心の性格も、習慣も異なっても外形によって相へだつことなかれ。命の尊厳はお互いに異なることはないのです。そして、次に円満、それから物質なのです。大祖大神様は命の神様で、その命の中に五段の世界から上に突破して天上、声聞、菩薩、縁格、如来と登って行くのです。
この中の菩薩行と云うのは、如何なる手段を持ってしても、為すべきことを為す。不得手であっても出来ない所は出来るまで学ぶ。御教祖様は、医学も習字も大工仕事も何でも本職より上をゆくまで習得されたのでございます。そして、人間が救われない事は決しておっしゃいませんでした。
人間は本当は、神様の与えて下さった寿命は一六〇歳まであるのです。
この時、御教祖様は、その御命をかけて二八年間説いて来られたことを、天使信徒たちがただ自分の為だけの知識にして、実行もせず、導きも怠ってきたことをとても嘆かれて、天使信徒達に、立ち上がれ、出来ても出来なくても今立ち上がれと檄を飛ばされました。
今、私達は、この御教祖様のお心に添わなければとおもいます。
◆平成二十一年秋期霊光祭のお知らせ
| 場所 | 西宮高座山本部教会 |
|---|---|
| 日時 | 平成二十一年九月二十三日午後一時より |