四月八日は花祭りですが、まさにその通りの桜満開の日となりました。本日は、昭和五十年一月八日の御神話を元に御話させて頂きます。御勤めの始めはいつも、神呼ぶ歌を唱わせて頂きますが、この神呼ぶ歌のコツは、高音でなく低音でもなく、中音の呼び方が良いのです。
そして又、いつもさせて頂いている三省会の目的も神を呼ぶのが目的です。俗なる煩悩の世界を切り捨てて、今神と共なりきという心境が、三省会であり、又神呼び歌でもあるのです。
この時、電話のベルが鳴りましたが、御教祖様は御神話を中断なされて、門を叩いて来る人には何時でも受け入れて上げる必要があるから、電話に出てあげなさい、と言われたのです。
この神呼び歌と三省会によって、天地人に心が一つになれた時、十方界のアンテナが引かれるのです。
この十方界のアンテナは、あうんの呼吸の出来た時に引かれます。このアンテナが引かれますと、何時も神様と共に命の中にあるのです。必要な時に、必要に応じて、神となったり、又将軍となったり、又大人しい奥様であったとしても、たちまちにして将軍に接する事の出来る力を、神様より頂くのです。御商売が必要な時は、御商売の力を下さいます。これを自在境と申します。
この現界に於いて、自分の自己のみ主張して生きていったのでは、その魂は小さいものでしかありません。己のみでなく、家族のみでなく、日本や世界、又神様や先祖の為に尽くす事が、御教祖様の説かれた大根性であり教えの真髄であるのです。
この時は、御神歌の三、「見られよ世々は限りなく汝の命親一つ」
御神歌七、「七つの灯台神の国 七つの灯台神の国」
この二つについて御話下さいました。
人間は、限りなく永遠に生き通す命の中で生かして頂いています。しかし人間はいつも自分の命を一番に尊んで居る訳ではありません。恐らく命の断末魔になって始めて命の尊さを知るのです。
しかし、普段は第二、第三の物質に追い回されているのが、世の習いです。この世の麻痺状態の世界の人達をば、誘導しなければならないのが、この大祖教です。如何なる富も、如何なる物質も命に代え難きを第一に知らねばなりません。
現界に於いては、職業的に上であろうと中であろうと下であろうと命の世界は平等です。円満も平等です。只違うのは、職責で主に成る人は主に成る人。一家に於いても、国家に於いても主人役は主人役。主を頭として右巻きに和合して進む事が、真の道なのです。
大祖教の道である支部は七つあり、これが全国七つの灯台となっています。本山の御本部は無色光で十方界。先程の自在境に当たります。
信仰の心は、引っ込み思案の弱い心では駄目です。出来るか出来ないか分からないけれど、神様のおっしゃる通り進んでみようと思うその強い心が、ぴったりと神様に合った事となるのです。
大祖護光天の道は、医学でも科学でも御教祖様はあの手この手で説いて下さいましたが、分かる人、分からない人様々です。でも結論は分かっても、分からなくとも、やる事をやったら、すべて良くなって来るという事になっているのです。
薬は、いちいち何が何グラム、何が何グラムと内容は分からなくとも、風邪薬ですと言われて飲んだら効いて来ます。それと同じで、神様がこうしなさいと言われて、理屈が分からなくとも、その通りしたら必ず開運の道は開くのです。知っても知らなくとも、神は我が子である人間を、決して見捨てたりなさらないのです。
人間は、神の最高の子供であり、神の命を頂く草木迄、その命を任されています。特に日本はその長男国であり、我が大祖教の天使信徒は、天皇家と同等以上に心を磨かねばならないと、説かれています。
この時、天使のうちの一人が欠けて、御教祖様はとても寂しい思いをなさっておられましたが、お互いに一切を捨てて生き抜こう、残された者は、残された責任と義務がある。心明るく高く神の御使命に生きよ、力強く生きよと申されたのです。
私は、この御教祖様の御言葉が、胸に沁みました。これからも、この御言葉を胸に上を向いて歩んで行きたいと思います。
◆開教第六十二周年記念祭のお知らせ
| 場所 | 西宮高座山本部教会 |
|---|---|
| 日時 | 平成二十一年五月二十四日(日曜日)午前十一時より |