人間には色いろなタイプがあります。気が利きすぎて間の抜けている人、気が利きすぎる人、ホントは賢くないのに賢コブリ過ぎる人、また反対に横着で気がきかなすぎるのも間違っています。
丁度、程よくないといけないのです。ちょうど良い分量が与えられて物事を為すことができ、そのちょうど良い分量、多過ぎても足りなくてもいない分量を考えなくてはなりません。
神様が創られた物質に対して、人間が大昔から歩んできた道程からでも、現在においてでもあるかもしない出過ぎや引っ込み過ぎの点を、正道な位置に据え直すために、運の良い人も悪い人も、神の大生命の中に飛び込んで、ちょうど良い分量、多過ぎず足りなさ過ぎない分量、幸いする分量をつかまなくてはなりません。その目分量がわからなければ、自分の過去現在において、良い事も悪い事も様々あったにせよ、それらの事にこだわって執着することなく、全てを御破算、リセットにして白紙状態にしてみることでございます。
災難が目の前に出てきても、平気でそれを乗り越えられるだけの魂を持つことが出来る人間になることが、神様の御心に従うことでございます。神様は、神の子である人間に難が掛かれば、それを軽く済ませられるようにお計らいくださっているのでございます。
雨が降っていても自分だけは傘をささずに済むように祈るのは甘えであって、大きな難を小さな難、小さな難を消して難の無いよう逃がして頂いている神のお慈悲に気がついて「ありがとう」と思う心を養うことが、この世を地上の天国にして暮らせる幸いの姿勢でございます。岩をも通す信仰心があると自負していても、愛を知らない、自分の煩悩〔欲や間違った執着による苦しみ〕の炎を燃やしているだけの質の悪い信仰では徳は呼べず授からないのでございます。
何事も福徳を呼び込める徳ある心になるための修行として如何なる時も前述の神様の御心に従えて、如何なる困難の形をとって目の前に現われたテストにも決して神に反対しないそういう心を持てた人に、神様の御光りは差し込むのでございます。
◆春期霊光祭のお知らせ
| 場所 | 西宮高座山本部教会 |
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| 日時 | 平成二十年三月二十日午後一時より |