本日は、昭和40年8月8日の御神話『己が身を省みずして神の為尽くすぞ人の務めなりける』について説いてくださった内容を解説させていただきます。
本日は、八十八という重ね祝いの日で、心良き人はその徳を高く戴く日でございます。
天を指しての八、地を指しての八、中を十に引いて、天地十方に素直に、神の作り給うたこの宇宙の法則に従う者は、上の八は、天から落ちてくる徳を現界に於いて皆受け取れる漏斗となり、下の八はそれを喜び感謝して末広く暮らすのが十方八十八、米の日なのでございます。米は、日本人に対して、血を養い肉を養い、生命力,肉体の存在を維持してくれるエネルギーなのでございます。これに感謝の心を持っているでしょうか。この現界に於いて、如何なる人智を持ってしても出来ない不思議な生かす力があって、生かされていると言う事に感謝できているでしょうか?
この生かされている世界に、生かさぬ行為を採った者、自然の法則を間違えたもの、右回りをしておるものを左回りをしたもの、はこの年には清算されると仰いました。人間の創った法律ならば抜け道があったり、他人が気が付かなければ罪を逃れられる事もありますが、神様の創られた法を犯した罪は必ず計算されて絶対に抜け道はないということを知ったならば私たちは、まず天地の、宇宙の摂理を知り、これを信じて、間違っていたならば、心から詫びて、神の許しを頂かなければ成らないのでございます。そして、神様に感謝の誠を捧げるこの感謝祭の日に、また、一年に数回ある天赦日に、心から詫びたなら、その心如何によって赦されるのでございます。
心から神様の道を信じて神の創られた宇宙の摂理を知ったなら、我武者羅な明日の命もわからないような事はしないのが当たり前なのですが、この神の摂理を知らないがために方位を犯し、神や先祖を敬う事を忘れ、神様と心が離れてしまって、人間同士が相食み、衝突しあうのです。その、食みあうたびに、食みの池があって、十回食むと蝮が一匹子供を生むのです。よく喧嘩する家には、その一統に食みが舞うのです。邪淫の食みか、物質の食みか、神様に対して天を欺く重刑の食みか。
人間の肉体はいつかは消滅しますが、魂は永久不滅のものなのです。
この制限のない魂を邪心に落ちないで、食みあう心に落ちないで神様そのままの摂理に叶った心、神を尊敬し、火水木金土の経済界及び一家を尊敬し、あい睦み合い、人間の気持ち(木)は火を生じ、火とは神、肉体にたとえれば熱、血、カロリーの発露でございます、気持ちは神から降りて、火を生じ、火は土を生じ、土は金を生じ、金は水を生じ、水は木を生じという如くクルクルと手をつないで仲良く回っていけば、一家は円満で、物質は、努力の結果だけ、望んだだけ、必要に応じて、自分の天から受ける松の徳次第で無限億万円を制限無く、その人の持っているルート如何によって伸びていく事ができるのです。
生命力は元より肉体は最低160歳を人間の肉体の保障として地上に作られたのです。それを、相食んで、肺臓を痛め、胃腸を痛め、頭を痛め、ついでに足腰まで立たないようにしてしまう。それは他人がするにあらず、自分の心が天地自然の神の創られたルートに乗っていないからなのです。
本当に神の摂理に則ることが出来たなら悪人が目の前に来ても悪は出来ないのです。
己が身は無いのですから、己が身を省みず相手の都合を考えてあげる、この人はちょっと心が捻じれているから、都合良くはいというて上げてもすっとは受け取れないであろうと理解する事ができる。その人、その人によって、その人を理解してやることが出来るので、一度で行かなければ二度でも三度でもその人のために尽くす事ができるのです。そうすれば、如何なる悪心、へそ曲がりも治って、綺麗にすくすくと自然と天地の自然の中に伸びていくのです。いじけている者にきつく当たると余計いじけるだけであります。
経済、物質で食む場合は物に不足を言い、食べるものに不足を言い、金銭に不足を言い、上のものを食んで恨んで肺病や偸盗の元祖となり、何千何万匹の蝮はその人を倒し、身内を倒し子孫を倒し、天刑という七つの重刑のひとつ、肺病とか中風、狂気、癌などが出てくるのです。昭和35年位までは、御教祖様は、国と国同士が、食みあって地球が自壊する作用が起きたために、天足通で地上界を清め抜かれて地上の自壊、破壊を停止させてくださったのでございます。
今度は、経済界と人間達に襲い掛かってくるこの、相食みの因果法則を清算されるのでございます。大祖大神様は世界に光を光らせて、神に感謝の出来るものにも出来ないものにも救おうとして下さっておられるのです。ですが、人間は、自分の五感の感覚のみで事を計算します。そんな事で都合よく事が運ぶなら神様もご苦労はなさらないのでございます。人間にはどうする事もできない不思議な、生かされている力のある事に感謝しなければなりません。食みの池に蝮を持っているものは皆裁きの庭にあるのです。
まず人間たちが、五感以上のところが見えないので知らないだけで、明日来る運命は既に後ろのフィルムに出来上がっているのです。悪しきフィルムは出しては成らないのです。
良いフィルムと取り替えなければ成らないのです。その為には、何かしようとした時に都合よく行かなければ、人のせいにし、神に責任を着せ、世の中のせいにするという事を止めなければなりません。一切の責任は自分にあるのです。
裁かれる時には、人の口を仮り、人の行為を借りて知らされるのです。一家の家、足元が一番因縁を出すところなので、都合の悪いところが出てきたならばその事を知って、罪の解消を喜んで、上がるか下がるかの階段をこの理を知って、向上して欲しいとおっしゃいました。
◆平成二十年八月のお知らせ
染の等、問題山積で、腰の引けるのは、私だけでは無いと思います。それはさておき、大勢の人の前で自分の実力を存分に発揮出来るのは大変難しい事で、それには小さい頃からの経験がとても大切だと言われています。日本がメダルを獲得したと連日熱い報道がなされていますが、神様の御道から言えば、銅メダルは七感、銀メダルは八感、金メダルは九感という所でしょうか。 特に金メダル獲得の場面は、非常に感動的で、胸が熱くなりますが、これは、神様の言われる十方界に入る心得と同じだと言う気がします。 十方界に入る極意とは、一切の算盤(計算ずく)を抜きにして只自分が追求する一点にしぼり、全身全霊の力を込めてそれに当たれば、九感の皮を突き抜けて、十感に首を突っ込む事となり、その人は十方界に居られる全知全能の神の偉大なる光に触れて、世界一の栄誉に輝く事が出来るのです。 但し、これは心境のお話ですので、必ずしも金メダルを取った人全てが十方界に入ったとは言えません。銀メダルの人だって、銅メダルの人だって、メダルを取っていない人の中にも、この神様の十方界の極意を体得している人が居るかも知れないのです。それは神のみぞ知る所です。 いずれにしても、一つの事を極めるというのは素晴らしい事で、私達も神様の道を極めて、良い日本、良い地球となる様に頑張って行きたいと思います。
◇秋期霊光祭について
| 場所 | 西宮高座山大祖教本部教会 |
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| 日時 | 平成二十年九月二十三日午後一時より |